2010年1月17日日曜日

寒中見舞



 寒中お見舞い申し上げます。

 喪中がずっと続いたので、今年こそはと、年賀状も用意して「謹賀新年」と云おうと思っていたけれども、日々を淡々と過ごしているうちに松の内も明け、「新年明けまして」なんて云える時節でなくなりました。

 ぼくは元気です。あなたはお元気ですか。

 いまの職場でいまの町でいまの仕事でいまの人々に深く関わるようになってもう6年目になります。

 そのあいだに、祖父が死に職場の母がわりの恩人が死に父が死にました。

 そして昨年、ぼくも結婚しました。結婚して、父と母、兄と姉、姉の家族をえました。

 なので今年の元日は、実家をふたつ梯子しました。

 いつでも隣にいる人がニコニコといつでも隣にいてくれます。

 それはとっても恵まれていてしあわせなことです。

 今年はどんな年でしょう。

 ぼくは元気です。あなたはお元気ですか。


 

2009年11月14日土曜日

日日

このあいだ45歳になった。45歳は特別な年齢とは云えず、20や30と較べれば、特別な感慨はないけれども、妻を娶ってはじめての誕生日であり一緒に祝ってくれる家族がいるというのはありがたいことだ。

2009という年は、個人的には所帯を持ったという点で特筆すべき年であるが、歴史的にも記述が多くなる年であろう。アメリカと日本で起きた政治の変化。毎週ネタの尽きないエログロナンセンスな事件。時代を象徴する人物の死。

それはちょうど20年まえの1989年を彷彿させる。僕が社会人になりスーツを着るようになった年。昭和64年が7日間しかなく平成元年となった。松下幸之助と美空ひばりが死去。1億円が拾われ、リクルート事件が発生。宮崎勤が幼児殺傷事件を自供。福岡シーサイドももちと横浜みなとみらいで博覧会が開催。6月に天安門事件。11月にベルリンの壁崩壊。

そのころ、僕はポールスミスのスーツを3着、ほかにもDCブランドのスーツを3着持っていた。世間知らずで時代に浮かれてクレジットカードで買ったいくつものスーツ。みんな処分してしまった。いまではスーツは2着しか持っておらず、ひとつは礼服。

それでも1枚だけ、そのころ買ったシャツがある。コム・デ・ギャルソンのベーシックなシャツで、紺地に小さな水玉が散らしてある。30歳までは頻繁に、いまでは年に2、3回しか着ることもないけれど、65歳になってもまだ着られるのではないかと信じている。

2029年も、そんな記憶に残る年になるだろうか。妻が誕生日を祝ってくれるだろうか。

2009年9月28日月曜日

東京タワー、ではなくて。



「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」(アーネスト・ヘミングウェイ、高見浩訳)

2009年7月27日月曜日

これが天国でなくして何が天国か。



真夏日。レトロな平屋の、あらゆる窓を開け放つ。丘を吹き抜ける風。デニムを履いてリネンのシャツを羽織る。そのまま猫のように畳にごろん。惰眠を貪る。やがて蜩の声に目覚める。晩ごはんを待つ間、庭に椅子を出す。空を見上げ、時折雑誌の活字を拾う。膝の上に枝豆を置いて、缶ビールをやる。台所から包丁の音を風が運んでくる。妻が餃子を作っている。

2009年7月15日水曜日

到来



見上げれば、そこに、夏が来ていた。
じっと耳を澄ますと、秋の気配を含んだままに。

洗いざらしの白いシャツと、
インディゴブルーのリーバイスで、
海にゆかないと。

2009年6月16日火曜日

器をさがす旅

人生とは、結局のところ、じぶんに見合った器をさがす旅なのではないだろうか。それが身の丈を知るということであり、知足ということなのだと思う。

器はそれぞれ違い、大きければいいわけでもないし、高ければいいというわけでもない。それはたとえば、人それぞれ足の形や大きさが違うように。大事なことは、そんなじぶんの足にぴったり合う靴を見つけることだ。じぶんにとっての靴は他の人にふさわしい靴であることはない。器もまた同じ。